ときどき詩を読みます。
そんなに、多くは読みません。
ごく限られた詩人だけ読みます。
私が中学から20代のころは谷川俊太郎が好きでした。
いきなり話がそれますが、谷川俊太郎のお父さんは
谷川徹三という哲学者で、常滑市の出身です。
谷川徹三は法政大学の総長を務めた人で、幅広い
文化活動をしました。宮沢賢治を世に紹介した事は
文芸界での大きな功績のひとつのようです。(もちろん
文芸界での最大の功績は谷川俊太郎をこの世に送りだした
ことだと思います。)
今でも常滑の年配の人は谷川徹三のことを親しみを込めて
「てつぞうさん」と呼びますし、それで通じます。
話をもどします。
初期から中期の彼は、世界をできるだけニュートラルな
立ち位置から詩に書こうとしていた事は有名です。
当時の僕はそのある種、乾いた感じの詩に惹かれていました。
「リンゴへの固執」、「頼み」、「くりかえす」など他にも
たくさんありますが面白いと思いました。
その後、90年代でしたか、谷川俊太郎が佐野洋子と結婚した
ころから、雰囲気が変わりました。それまでの世界に対する
ニュートラルな距離感から、自身の主観をより前面に押し出した詩が
増えたといわれますし、たしかにそうです。
ところで、村上春樹も若い頃の小説の大きな特徴として、
「デタッチメント」という事が言われます。「デタッチメント」というのは
「タッチしない」という事ですから、世の中に関わらないという事です。
「デタッチメント」の反対は「コミットメント」です。
それは、谷川俊太郎の「ニュートラル」にも通じる特徴かもしれません。
そして、村上春樹も最近は世界に「コミットメント」する構えで
作品を書こうとしています。
このおふたりの変化の共通点は、興味深いところです。
しかし、残念ながら最近のおふたりの作品はじっくりと
読んでいません。本当はいつも読みたいのですが。
そして、このところ強く心惹かれるある詩人がいます。
その人はとても独特で、「デタッチメント」とか「コミットメント」とか
いう切り口では言い表せません。本当にすごい表現者だと
思っています。
次回は、その人について書こうと思います。
そんなに、多くは読みません。
ごく限られた詩人だけ読みます。
私が中学から20代のころは谷川俊太郎が好きでした。
いきなり話がそれますが、谷川俊太郎のお父さんは
谷川徹三という哲学者で、常滑市の出身です。
谷川徹三は法政大学の総長を務めた人で、幅広い
文化活動をしました。宮沢賢治を世に紹介した事は
文芸界での大きな功績のひとつのようです。(もちろん
文芸界での最大の功績は谷川俊太郎をこの世に送りだした
ことだと思います。)
今でも常滑の年配の人は谷川徹三のことを親しみを込めて
「てつぞうさん」と呼びますし、それで通じます。
話をもどします。
初期から中期の彼は、世界をできるだけニュートラルな
立ち位置から詩に書こうとしていた事は有名です。
当時の僕はそのある種、乾いた感じの詩に惹かれていました。
「リンゴへの固執」、「頼み」、「くりかえす」など他にも
たくさんありますが面白いと思いました。
その後、90年代でしたか、谷川俊太郎が佐野洋子と結婚した
ころから、雰囲気が変わりました。それまでの世界に対する
ニュートラルな距離感から、自身の主観をより前面に押し出した詩が
増えたといわれますし、たしかにそうです。
ところで、村上春樹も若い頃の小説の大きな特徴として、
「デタッチメント」という事が言われます。「デタッチメント」というのは
「タッチしない」という事ですから、世の中に関わらないという事です。
「デタッチメント」の反対は「コミットメント」です。
それは、谷川俊太郎の「ニュートラル」にも通じる特徴かもしれません。
そして、村上春樹も最近は世界に「コミットメント」する構えで
作品を書こうとしています。
このおふたりの変化の共通点は、興味深いところです。
しかし、残念ながら最近のおふたりの作品はじっくりと
読んでいません。本当はいつも読みたいのですが。
そして、このところ強く心惹かれるある詩人がいます。
その人はとても独特で、「デタッチメント」とか「コミットメント」とか
いう切り口では言い表せません。本当にすごい表現者だと
思っています。
次回は、その人について書こうと思います。